handmade life

夢があると、つい、路を急ぎがちですが、けっして力まずに家族の暮らしと仕事がひとつになるカタチがほしかった。
既存のモデルがない以上、自分たちでつくりだす覚悟をきめた。
答えは・・・ないです。道のりそのものが、ボクらの「生涯」になります。
片道切符でここへやってきたのが2006年。
プランニングをはじめたのは2002年にさかのぼります。
年端もいかない3人のこどもたち。朽ちかけた開拓農家の廃屋。気の遠くなる想いに立ちくらみしそうな歳月がつづき。
でもね、いっぽうではやっと虚構でない人生が動きだした、そんな気がしたものです。
すべてがゼロ。
すべてが無限。
「丘のまちに旅したい」ってどういうことか。
それのみを見つめて坂道をのぼっていた気がします。
空間全体のスタイリングはもちろん、大工、左官、電気、外構、家具、インテリア、とにかくいろんなことを我流でやりました。
ここには一般建築でやらない部分が多すぎるし、自分のことを自分でできるようになりたかった。
気のいい職人や技術者たちと、いまに続く友好が生まれたのも、このときです。
村の建設中、傍らにはいつも、こどもたちとマダムがいました。
そのスタイルは、あたりまえのように今も続いています。
ボクら自身が旅をしているんだ。これは想い出づくりだ、と思いました。
播きつけたシロツメクサが、まだ寒風の候、やっと芽吹いてきた。
こんなことが、ひときわココロに沁みた。
オープン間近の2007年5月。
地平線をながめながら「ただいま!」
「ああ、地球に暮らしてる。」って感じが気に入ってます。
1. 柔道黒帯&ベストスイマー、そして山男。「笑顔と腕力で人生わたってやる!」
2. 柔道のちサッカー部、動物好き。「この俊足で、いつか宇宙まで跳んでいきたい!」
3. 手芸、お料理、お手紙好き、ザワザワ門前のジェーン。「夏はチビクロでしゅから!」
HACHI、ROKU、RYUSEI-GO。
この世に生まれた以上。
いま、しあわせかい、って毎日感じながら育て。
育てられ。。。
土場。
毎年、春になると森の間伐材が届きます。その量、10t。
ナラ、カバ、ニレ、エンジュ。
ザワザワ村の冬の暖。
コツコツ、コツコツ、傍らにチェーンソウと、斧1本。
やりぬくコツは全部を見ないこと、って答えます。
ただ目の前の一本、そして一本。着けないゴールはありません。
ホントはね、炎天下、ココロ折れそうになるときの独りつぶやき。。。人間だもの。。
洗濯シーンは、好きですね。
なんか、そこに人生観って出るじゃないですか。
手しごと。
なにも教条的なわけじゃ、ないんです。プロにできることは迷わずプロに任せます。
でもね、プロにできないこと、そこが「世界観」。
だから、いまなりたいとしたら「究極のアマチュア」ともいうべき、サウイフモノニ、ワタシハ ナリタイ・・・。
手しごと2。
村の建設当初からそうですが、考えてみれば年中、村中、手仕事なわけで。
冬になると、ただひとりで何カ月かの谷籠りがつづきます。
逆に、仲間が集まってくれるときは、手出ししません。
・・・センスも流儀も違うから。
ときどき、このモノたちにも「人格」があるんじゃないか、って思うことがあります。
操るというよりは、きょうもヨロシク!・・って感じ。ハレものに触れるような、おたがいの息遣い。
とってもオールドファッションな、縁の下のプレイヤーたち。
冬がやってくると、暮らしざまは一気に変わります。火を起こし、雪を分け、食を選び、吹雪を凌ぎ。
「ここの冬を暮らすということは、生きることそのものだ。」って、誰だってきっとすぐにわかります。
我が家のこどもたちにとっては、村自体が小さなスノウワールド。
抜けるような放射冷却のいち日。暮れるまで、黄色い歓声はつづきます。
たとえば毎日、10人のゲストを迎えるために、8人のスタッフと3人のこども達と3匹の動物たちが、暮らしています。
暮らしの中に来てもらう、そんな田舎ホテルがあってもいいじゃない。
・・・造りモノじゃない、ある意味、本物のドキュメント。
「やま」の者たちは、「まちへ下りる」って言います。ザワザワ村は「やま」。
金魚片手に、ある、夏まつりの昼下がり。こんなにして、ごくごく、ちいさく暮らすしあわせも感じたり。
 まちの空気は、すこし密度が高い。
まちの時間は、すこし早くすすむ。
 「そろそろ、やまへ帰ろうか。」
マダムはS43、メキシコオリンピック生まれ、コンシェルジュ兼マネージャー。
ボクはS39、東京オリンピック生まれ、大道具、農業。神戸出身のふたりです。
アトランタ、シドニー、アテネ・・・生まれのこどもたちに囲まれて、そう、祝賀的家族。
いつも。
どこからか。
スプウン谷にわたる風。